読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

○日記

男としてのレベル上げの記録です。

「教養」とは?

教養って何だろう - 自由になれる?という記事に触発されたので、(無)教養学部出身の自分なりの考え方を整理しておきたいと思います。

 

まず、「教養とは、自分の価値観・人生観を相対化し、相互理解につなげる能力」だと思います。平たく言えば、自分が絶対的に正しいと信じこまないこと。自分と考えの違う人間をバカだと片付けるのではなく、自分の価値観の根底にはどんな前提(ドグマ)があるのか、様々な思想や科学、歴史にふれることを通じて知ることが教養だと思います。例えば、民主主義思想や人権思想にはドグマはないのか、進化論はどうか、素粒子物理学はどうか。これらを、論理的に積み上げて説明してみようとすると、必ずどこかに、検証できていない仮定を置かざるをえないことに気付くはずです。「精神的な自由」というのは、自分が無意識に囚われているドグマからの解放なのだと、私は解釈しています。

 

次に、「教養とは、TPOに合った言動・行動をとる能力」だと思います。平たく言えば、「どこに出しても恥ずかしくない人間か」、「場違いな人間ではないか」ということです。ここで言うTPOは、ありとあらゆる場面を含みます。ビジネスシーン、レストラン、パーティー、茶会など社交の場や日常での立居、振舞いは勿論、炊事洗濯などの家事、就職活動、選挙の投票や災害発生時の行動、果ては「生きるべきか、死ぬべきか」など、人生のあらゆる場面で、その場に応じた合目的かつ合理的な選択が出来るか否かが、教養の有無だと思います。もちろん、例で挙げた個々のものは、必要条件にすぎないので、どれか一つが出来るからといって、教養ではないと思います。私は、膨大な知識は、教養のための必要条件であって十分条件ではないと考えています。

 

歴史的には、「リベラルアーツが…」とか、「大正教養主義では…」とか色々あると思いますが、自分の指針としてのまとめは以上です。教養に関する様々な立場については、wikipediaの教養主義 - Wikipediaの記事が意外によくまとまっているので、そちらを参照すると、自分の立ち位置が分るんじゃないでしょうか。

私自身の考え方をこの分類に当てはめると、高校時代に河合栄一郎の学生に与う (現代教養文庫)から大きな影響を受け*1、学生時代はバリバリの人格主義、主知主義、すなわち、B群的な考え方だったのですが、上に書いたことからわかるように、今は、より社会や世間との繋がりや、行動を重視したC群的な考え方の方がしっくりきています。

*1:脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)にも、かなり影響されました(小声)